2018年のTokyo 7th シスターズ

インターネットのディストピア

 現在、世界ではGoogleによるパーソナライズとAmazonによるレコメンデーションが全面的に進行している。この状況は恐ろしい程便利であり、それがなかった時代のことを想像することが難しくなった。インターネットは、ますます世界中を飲み込み、いずれすべてのモノがインターネットに繋がることになるだろう。その時、ますます人々の傾向があらわになり、未来は予測され、リスクは最小化されていくだろう。

 しかしその予測された"未来"は、既存の知識に近い未知だけで構築される種類のものである。世界には本当にまったく予測できない側面がある。ビッグデータ?統計?そんなものはまったく無力な現象が世界にはあるということを、私たちはよく知っている。未来とは、過去を切断して跳躍することで展開されるものでもあるのだ。未来への跳躍は偶然に満ちている。偶然は他者と出会うことによりもたらされる。自分とは、そんな偶然に満ちた中でたまたま引き受けたものにより作り上げられるのである。

 

2018年7月、2034年7月 日本武道館

 あの日の武道館にはセブンスシスターズはいなかった。しかし、777☆SISTERSは確かにセブンスシスターズの反復であった。そもそも、777☆SISTERSというユニット名は、自らがセブンスシスターズの反復であるということを引き受けているように思われる。これらユニット名は、単なる連続性ではなく、個別のアイドルユニットを超えた無限の時間があるように感じさせる。この永遠の繰り返しの枠組みが、アイドル達が歌い踊る舞台なのだ。

 あの日武道館にいることができたのは偶然であった。なんせ平日開催だ。会場に向かう途中の風景は忘れられない。この場にいることができて良かったと無意識のうちに感じていた。

 OPで「Melody in the Pocket」が流れた時、信じられない一瞬に触れることができたと思った人間は僕だけではないはずだ。

 観ている人に向って演奏するのは音楽の本質ではないという意見もある。だが僕は、音楽とは、人が人に向けて発する何かであるという気持ちを捨て去ることが難しい。音楽を聴くこととは、他者を探すことである。

 

偶然と運命

 九鬼周造は、『偶然性の問題』の中で「偶然性の根源的意味は、一者としての必然性に対する他者の措定といふことである。」と述べている。情報社会の人間はインターネットという必然の世界にこもる。その人間にアイドルが音楽を届ける。現在という時間が、必然ではなく、偶然によってもたらされたことを伝えるために。そのことが意味を持つとき、人間に偶然を運命と感じさせるのである。