We are not instant|Tokyo 7th シスターズ 3rd Anniversary Live 17’→XX -CHAIN THE BLOSSOM- in Makuhari Messe

THIS IS THE "LIVE"

THIS IS NOT INSTANT

YOU ARE NOT INSTANT

CHAIN THE STEPS

CHAIN THE TEARS

CHAIN THE ANGER

CHAIN THE FAILURE

CHAIN THE TRY

CHAIN THE LIVE

CHAIN THE STORY

THIS IS THE ONE AND YOURS

 「CHAIN THE BLOSSOM」Introムービーより

 

Overture

 Tokyo 7th シスターズの3rdライブである「CHAIN THE BLOSSOM」についての文章をお届けする。最も、ライブそのもののみならず、それを越えた何か大きなことや小さきことまで綴っており、結果的に何だかよく分からないことになっている。

 ライブ自体は今年の4/22・23に開催され、既にライブBlu-rayも発売されている(トレーラーはこちら)。ライブは掛け値なしにとても良く、人生で二つとない場だった。あまりにも強烈な体験だったので、公演後に色々溢れてくる考えを言葉にしてまとめるのは無理かもしれないと、半ば諦めていた。公演の感想を綴ったり、述べたりしていた人たちが羨ましかった。それから、もう半年以上が経過してしまったのだ。しかし、桜が散り、青空と入道雲が広がり、秋の足音が聞こえるその間も、ぼくはのろのろとしていた。そして、7ヵ月ほど経ってハルカゼが吹き、ようやく文章をしたためようという決意がみなぎった。

 ぼくは、去年の1/4に1stライブ「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E-!!」のBlu-rayを観て感銘を受け、2ndライブに参加し、3rdライブに至って3公演全部参加するまでになった。もちろん、ゲームを含め、もっとのめりこんでいる人も大勢いるだろう。が、少なくともぼくの人生で、これほどまで共に歩み、多くを受け取ってきたという自覚がある作品はそうそうない。だから、ぼくがナナシスに出会う前に考えてきたことも含めて動員して、何とか応答したいと思った。

 

1st GEAR

 「2015年」や「2034年」といった文字を見ると、自然と、もう2年経った、あるいはまだ17年ある、という時間の感覚が生まれる。それは日常生活でも、入店してから3時間経った、待ち合わせまであと1時間あるといったように感じることである。ところが、何日、何週間、何か月という水準であれば、日常生活に回収されるものであるが、何年を超えてくると、もう少し深いところで考えなければならない時間のように思えてくる。

ライブタイトル

 Tokyo 7th シスターズのライブは、「2.5」と称される2ndライブと3rdライブの間に開催されたものを除くと、大きく分けて今までに3回開催されている。それぞれのタイトルは次の通り。

 

 ・t7s 1st Anniversary Live 15'→34'「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E-!!」

 ・t7s 2nd Anniversary Live 16'→30'→34' -INTO THE 2ND GEAR-

 ・t7s 3rd Anniversary Live 17'→XX -CHAIN THE BLOSSOM-

 

 2030年はセブンスシスターズの、2034年777☆SISTERSの誕生の年である。3rdライブから振り返って考えると、1stライブは、777☆SISTERS誕生の年へと宛てられた、いわば誕生・萌芽編だ。1stライブは、最初の曲が『H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!』、最後の曲が『Star☆Glitter』という、どちらも何か新しいことが始まる、そんな予感が生まれる曲である。一方、2ndライブは一転、2034年にとっての過去である2030年=セブンスシスターズを間に挟むことで、ある日ひょっこり777☆SISTERSができたわけではなく、彼女たちにバトンを渡すものがいたということ意識させる。それを忘れるな、といわんばかりに、2ndライブの1曲目は『SEVENTH HAVEN』という鮮烈なセブンスシスターズの曲だった。それを受けた777☆SISTERSは、ライブの最後に『僕らは青空になる』を歌うことで、セブンスシスターズとは違うあり方を示そうとする。

 では、3rdライブは何だったのだろうか。

CHAIN THE BLOSSOMというテーマ 

 3rdライブのテーマは「CHAIN THE BLOSSOM」、花を繋いでいくことだ。CHAINからいこう。これは、誰かから何かを受け取り、何かを受け継ぐこと(DNA鎖はまさにそう)の意思表示だ。この概念には、以前に差出人である誰かがおり、以後に受け取り手である誰かがどこまでも続いている (閉じる=完結する、ということがない) 、というイメージが包含されている。

 過去/今/未来のイメージには2種類あると考えている。1つは、それぞれが確固としたものとしてあるように感じられるイメージであり、例示すると「1957年にスプートニク2号が打ち上げられた」「今は6時10分である」「2020年に東京五輪が開催される」といったものだ。これらは、不動で完結しており、自分がどうしようが変わるものでもなさそうだ。もう1つは、あるきっかけをもって、今この瞬間には以前と以後があるという想像が生まれ、それが広がって過去と未来という実感として析出してくることによるものだ。このきっかけは、花が咲いているのを見ること、雨上がりに虹がかかるのを見ること、美しい音楽を聴くこと等、人によって異なってくるとは思う。

 ぼくには、ある人が未来へ向かうためには、後者の方のイメージを必要とすると思えてる。なぜなら、後者のイメージによって、過去/今/未来という時間をもつ自分自身という感覚が発現 (あるいは再現) し、それと同時に、自分自身が、ある程度過去に制限されてはいるものの、未来を変えられないことはない存在である、という意識も合わせて生み出すからだ。誰かの背中を押すのがナナシスのテーマならば、ライブ (=現在進行形) で「CHAIN」というテーマが掲げられたのはとても必然的なことのように思える。はるか遠くどこまでも続いていくように、踏み出すのだ。

"LIVE"

  3rdライブの冒頭、Introムービーで「THIS IS THE "LIVE"」という文が出てくる。これは、1stおよび2ndと異なり、3rdライブではバンドによる生演奏を行っている、という表明であることは間違いないだろう。しかしそれ以外にも、このライブが文字通りLIVE=生きることであり、また現在進行形であるものいう主張とも感じられる。今を生きることを明瞭に感じることで、過去があり、未来があることにつながる。そして、「THE "LIVE"」、特定の、ここにしかないということも大切だ。この文は、ムービーの最後に出てくる「THIS IS THE ONE AND YOURS」と共鳴し、それぞれの人が、この瞬間に集結することを示す。ライブの汎通性が宣言される。生きることは普遍的だが、同時にぼくはぼくだけの生を生きているものである。ぼくの人生を誰かが生きることはできない。そして、その生きているそれぞれの人が、この場に集まっている。誰かが生きていること、そしてあなたが生きていること、その両義性を含んだ表現が、THIS IS "LIVE"なのだ。

ハルカゼ

 ハルカゼは、未来の他者に届けられる。

 ライブ直前に発売された『t7s Longing for summer Again And Again ~ハルカゼ~』では、短編アニメーションMVが作られた。MVの中では、2040年に生きる学生が、『ハルカゼ』を聴いている。曲は背景でもあり、主題でもあるように見える。背景であるのは、MVの登場人物に対して、曲が寄り添っているだけであるから。主題であるのは、まさにその寄り添っている曲こそが、2人の登場人物を繋ぐものとなっているから。

 「→xx」から考えると、舞台は'40でも、'39や42'でも構わなかったのだろう。どこの未来に飛んでいくかは風次第だ。風に乗って種を蒔き、どこか、なるべく多くのところにたどり着いてほしいという可能性に賭けることの表明。つなぐとはそういうことなのだ。それが、次のシスターズを生み出すことにもつながる。

 ハルカゼは、MVの中で、合唱曲として歌われていることが示される。合唱曲は時代を超えて、歌い手を区別せず、歌い継がれていく。合唱曲というのは不思議なもので、発売された瞬間から皆が知っている合唱曲になる、ということはない。誰か合唱し続ける、それが続ていく、そういう力で合唱曲になるものだ。誰が歌うのかは分からない。でもそれは、自分自身も含めた未来の他者に向けられる。

 「誰もがみな春を待つ蕾」。誰もが、春日部ハルという花を咲かせる暖かさを待つ。冬の冷たい風のような、過去の苦しみの時期を思い返し、それでも明日に向かって進む。これを見ている/聴いている自分は、支配人ではなくただの1人のリスナーだ。そうして一度不特定多数の誰かになった後、それでもこの曲がぼくに届いてくる。そして、誰かも同じように曲を聴いているのかもしれない、という小さな想像が生まれる。

 3rdライブは777☆SISTERS、さらにいうと春日部ハルが主役だった。その下準備が1stと2nd、そしてハルカゼのリリースなのだ。受け取る立場から、自身の想いを固め、未来に向かってハルカゼとなる。それは過去(セブンスシスターズ)からのCHAINを受け継ぎ、そして未来へ向かって花を咲かせることで表現された。

Interlude
手紙

 手書きの手紙は面白いメディアだ。まず、手書きで手紙を書くのは大変時間がかかり、面倒だ。そして、だからこそ、手紙の端から端まで書き手の思いが込められており、語りかけてくるような感覚を強く生み出す。そして最後に、受け取った後にいつでも返事を書いていいような、終わりのないメディアでもある。それは単にずっと続いていくのだ。

パンフレット

 どんなライブでも、物販でパンフレットが売られていれば、毎回買うのが楽しみだ。後になって読み返すとき、ライブ前の高揚感を思い出すことができるからだ。幸いなことに、ナナシスではライブパンフレットが売られている。

 1stのパンフレット表紙はセブンスシスターズ777☆SISTERSが登場している。全員集合で、お披露目会のようだ。2ndの表紙はセブンスシスターズのみだ。このライブの主役がセブンスシスターズであることを示している。このステージは我々が導いていくのだという強い存在感を示していた。とはいえ、暗い空を背景に、ホログラム加工がきらめく表紙をめくると、青空が見える。3rdの表紙は悟ったかのようだ。そこには誰もおらず*1、舞い散る桜の花びらとライブのタイトルだけがある。ぼくは3rdの表紙が好きだ。

 3rdのパンフレットでとても気に入っているページがある。アプリリリースやCD発売など、Tokyo 7th シスターズのこれまでの歩みが記された、「Tokyo 7th  Sisters HISTORY 2014-2017」というのがそれだ。ディスコグラフィーではなく、ヒストリー。単なる記録・目録ではなく、歩んできた歴史が載っている。ひょっとすると、歴史のある他のコンテンツでもそういうページがあるのがお決まりなのかもしれない。でも、ヒストリーという今までの歩み、辿ってきた過去、受け継いできたことを忘れない、というのは3rdライブのテーマにも沿っていて、とても良いのではないだろうか。THIS IS NOT INSTANTなのだ。

 

2nd GEAR

(再) CHAIN THE BLOSSOMというテーマ

 「THE BLOSSOM」から考えよう。ライブにおけるBLOSSOMは桜の花で象徴されている。桜の花は、咲いてすぐに散るものとして有名だ。そして、花見と称して、皆で集まって眺めるものでもある。ほんの一瞬かもしれないが、誰かの心にも花を咲かせ、またその誰かをもまた眺めることができる、互いが花を通じて感じあう、そういう機会を作る花だ。そして、桜は来年も咲く。でも、多分来年の花は今年のものと少し違う。少しの差が積み重なって、アメーバからヒトが生まれたように。そうして、異なった仕方で、花を何度でも咲かせる。このライブが人生の比喩なのではなく、反転して、人生が、このライブの比喩なのだ。

反復

 つなげるということは、繰り返すということだ。似姿=姉妹たちを生み、育ててゆく。777☆SISTERSセブンスシスターズの反復である。しかし、デジャ・ヴュではない。繰り返しの枠組みの中ではあるが、まったく同じものやことを作り出すのではない。セブンスシスターズはユニットとしては死んだのかもしれない。でも、もっと大きな流れ、プロセスの持続の中で、生き続けているのだ。

 ナナシスには季節のモチーフが頻出する。季節は、単純に回帰するものではない。一見連続性が感じ取れるが、しかし、去年咲いていた花は一度枯れている=死んでいる。つまり、全く同じものを来年も見ることができるわけではない。しかし、同じ場所にとどまることで、新たな生命がまたそこから始まる。そして増殖する。セブンスシスターズに比べ、ナナスタシスターズは人数がとても多い。子どもたちはいつだって増殖して多くなるのだ。

ナナスタ

 ナナスタとは、プレイヤーが二代目支配人となっている、劇場型スタジオ『777 (スリーセブン) 』のことである。木を植えるとそこに人が集まるように、スタジオは集結する場となっている。集まる人が多ければ活気が生まれ、さらに多くの人を呼び寄せる。場所は重要だ。

 ナナシスの舞台は、Tokyo-7thという、2023年の新Tokyo湾コスモポリス計画によって開発された、国際娯楽都市区画なる法令で制定された区画である。そこはナナスタにとって、数々のアイドルたちが輝いていたという過去と、4UやKARAKURIといった現在のライバルが同居する場所である。場所は重要だ。

Star☆Glitter

 『Star☆Glitter』は特別な曲だ。というのも、ぼくの勝手な思い入れというよりも、ライブでの扱いを見ているとそうとしか言いようがない。『Star☆Glitter』は、1stライブと3rdライブにて、キャスト全員で歌われた唯一の曲だ。1stライブの最後の曲が、3rdライブの最後で反復する。曰く、この曲は原点であり始まりの曲であると。どういうことだろうか。

 夜空に輝く星は人々の憧れだ。スター歌手という言葉が生まれるのもうなずける。晴れ渡る青空に顔を向ける前、その前夜、「最初」の想いは夜空の星々の輝きから誘発される。ああいう風になりたい、そう思って踏み出そうとする時、周囲はたいてい暗闇で、でもそこに輝きがあるからとりあえず行く気力は生まれる。それはすでに過去の光ではあるが、しかし前を照らす、そういう出発点の光景。始まりは誰でも同じ、暗闇に輝く光を頼りに進むものだから、それはどんな時代、状況でも同じである。だから『Star☆Glitter』は、セブンスシスターズも、ナナスタシスターズも関係なく、全員で歌う曲なのである。

僕らは青空になる

 夏の青空を見るのは清々しい。「晴れやか」という言葉の意義がすとんと心に落ちてくる。青空は不思議だ。それはどこまでも広がっている。誰にでも開かれており、見上げればそこにある。一方で、それは遠くにあるものだと感じさせない。むしろ、非常に近くにあり、真っすぐ自分に向いているもののように思える。青空は自分を映す。ただし今の自分ではなく、自分の未来を映すのだ。青空は開かれている。閉じ込めるものはない。

 「誰かの背中を押す」というのは、ナナシスのテーマの一つである。背中を押すためには、その人の視界に入らず、後ろに回る必要がある。そうなると必然的に、背中を押すことは押される人の視界を共有することにつながる。応援とは、向かい合って声をかける姿が思い浮かぶが、むしろ、こういう姿が自然な気がする。777☆SISTERSは、背中を押す人と同じ方向を向く。そして、同じ青空を共有しつつ共に歩む/走り出す。同じ視界を共有することは非常な親近感を生む。親しみは、視界を共有する人だけでなく、青空にも向けられるようになる。

 「運命だよ ココニイルコトは」という歌詞がある。運命という概念は難しいもので、必然的に決まっていた (運命づけられている) という意味もあれば、「ここで出会ったのも何かの運命」という使われ方のように、偶然性を含有してもいる。いわば必然と偶然が混ざり合ったものだ。ある人が置かれている状況は、賽の一振りが連なってできた、偶然の産物である。でも、その偶然性に直面したうえでなお、そのことを自らのこととして受け止め、ありえたかもしれないことを振り払い、未来への可能性を自らに付与していく。そうした自己を考えることが「運命だよ ココニイルコトは」という決意に表れている。

Interlude
セットリスト

 ライブ前の楽しみの1つとして、セットリストがどうなるか、ということを想像することがある。もちろん、この曲は間違いなく演奏されるだろう、という予想はある程度事前にできる。曲数が少ないため、演奏される曲がほぼ予想できる場合もある。でも、順番や、誰がどう演奏し、誰が歌うのか、というのは、曲が始まるまでは分からない。それでもぼくはセットリストの予想をするのが楽しい。その時、ぼくは何を期待しているのだろうか。一体、セットリストとは何であろうか。送り手と観客の間の緊張感?

 ただ間違いなく言えるのは、満足するライブにおいては、実際のセットリストが事前の予想と比べてどうだったか、という些末なことはどうでもよくなる、ということだ。とても良かったライブのセットリストは、驚きと興奮、そして次への期待を始動させ、また見ず知らずの観客という群衆同士を横につなぎ、次のセットリスト予想へと駆り立てるのだ。

 

3rd GEAR

アイドル

 アイドルというのは、おおよそ歌って踊るなどのパフォーマンスを中心とする芸能人のことを指すということで相場が決まっているように思われる。まあそうじゃないだろうとぼくは思う。そこで、もう少し定義を調べてみる。すると、コトバンクに面白い定義がある。曰く、「自己を投影し、一体化することで自己表現及びカタルシスを受ける対象のこと。なお、人物に限定されない。」*2。いい線をついていると思う。なぜなら、自己が出てきており、かつ人物に限定していないから。でも40点だ。ぼくならこうする。「自己を投影したうえで、何か痕跡を残されたうえで再び自己に戻るという運動の過程で関わる対象およびその運動自体のこと」。はあ?という方もいると思うが、ぼくにとってアイドルというのは、自分が向き合ったときに自己を変換する装置であり、また変換の動きそのものでもあるのだ。

 おおよそ人というのは、いつも自分の在り方や身の回りのことについて、懐疑的で、何かしら嫌悪しているものだ。そこから回復するのは、決まって何かを通じてである。本当にやりたいことに向かって心を開き、立ち上がって進んでいく、そういう運動や運動によってつながっているモノもまた、アイドルとみなせるのではないかと思う。それは能動なのか受動なのか、もはやよく分からない活動である。だから、誰々がアイドル、何々がアイドル、というように、何らかの形に具体化できるアイドルは理解できるのだが、それだけではないのだ。運動は、止まった瞬間に死ぬ。だからつなげることが大切になる。そして、アイドル (=運動) を生じさせるのに最も適した場は、ライブ (=生きること) なわけで上手くできている。

 もう1つ面白い定義がコトバンクにあった。曰く、「昭和では高嶺の花。平成では路傍の石。」。これは揶揄の意図があるのかもしれないが、ぼくにはポジティブに捉えられる。なぜなら、どこにでもあるものが偶々変換装置になりうるという開かれた可能性を示しているから。生まれつきのアイドルはいないということが言えるわけだ。そして変換装置もまた、変換の過程で変わっていくことができる。この動きは永続性を思わせる。

H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!

 続いていくということは、先がいて後がいるということだ。だから、ナナシスのプレイヤーは二代目の支配人であるし、かつてセブンスシスターズとして活動していたコニーさんがマネージャーをしているのであり、2040年が舞台のハルカゼMVでは、777☆SISTERSの楽曲を歌う合唱部の学生が描かれている。 

 『H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!』は、どんなに遠くたって、春舞う綿毛のように歌を届けると宣言する。届けるのは綿毛、つまり種子である。それは過去の記憶を宿しつつ、未来の花を生み出す元となるものだ。曲名にハイフンが入っているのがずっと謎だった。今なら分かる。それはバトンである。12文字=12人の777☆SISTERSがそれぞれがバトンを受け取り、また渡し、そうすることで種をつないでいくイメージを喚起する。

 あまりにも目立つところにあるので忘れられているが、ナナシスのロゴには、「i-DOL n-EW g-ENERATION」という字が細かく付されている。これもハイフンだ。最初は小さな一歩=小文字である。でもそれが、ハイフンというバトンをつなぎ、大きくなって、新しいものを生み出す (generate) 、そんな願いが込められているように思える。

 1stライブと同様、3rdライブでも、777☆SISTERSが最初に歌ったのは『H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!』だった。でも、3rdライブでは、セブンスシスターズの後に歌われている。ぼくにはこの差は重要なもののように感じられる。

KARAKURI

 2017年1月、ゲーム内で、EPISODE KARAKURIが公開された。777☆SISTERSのライバルユニットであるKARAKURIが、どのような歴史を経てTokyo-7thのトップアーティストとして君臨し、またその歴史ゆえに呪縛に囚われていたかということが分かるストーリーだった。

 当たり前だが、777☆SISTERSは、姉妹同士で結成されているわけではない。中には晴海三姉妹のように実際の姉妹もいるが、基本的には偶々集まったよく分からない12人のグループだ。対して、KARAKURIは違う。まず、本当の双子の姉妹である。また、アーティストとしての天性の才能を見いだされ、幼い頃からその道を歩むものと周囲から規定されてきた。いわば、確固たる、必然としてのシスターズがKARAKURIだ。彼女たちは完全で、それ自体で完結している。だがそれゆえに、人々はKARAKURIに対し、望む姿を投影するだけの、パッケージ化された、器としての機能しか求めることができない。そして彼女たちは、勝利(『Winning Day』)を歌い上げる存在になっている。だが、誰が何と闘って勝利したのか?確固たる存在ではない、ふわふわとした、偶然によって生み出されたグループである777☆SISTERSは、その空っぽの勝利を揺さぶる。そして、EPISODEの最後では、KARAKURIの双子は一人一人に解体され、それぞれ自身から再生する。

 残念ながら、KARAKURI役の秋奈さんがライブ前に怪我をされたことにより、KARAKURIは3rdライブに出演しなかった。偶然のシスターズが必然のシスターズを解体し、セブンスシスターズという円環から解き放ち、新たな始まりへと背中を押す。それは、このライブの主軸の1つとなる、重要な物語になったはずだ。見方を変えると、そういった大きな存在の不在を感じさせなかったことが、4UとLe☆S☆Caの活躍もあったとはいえ、むしろ、この作品が少々のことでは揺るがない強い地盤を築くことができていたことの証といえるのかもしれない。

 とはいえ、それで終わらせるにはあまりにもったいない。KARAKURIが出演していたら、3rdライブはこうなっていたはずだという空想をしてみたい。KARAKURIは、EPISODE KARAKURI中で開催される音楽フェスにおいて、777☆SISTERSの後に登場し、パフォーマンスする。ならば3rdライブでは、Le☆S☆Caの位置で歌うはずだ。曲は、EPISODE KARAKURIでのライブと同じ順番で、『Winning Day』→『B.A.A.B.』→『-Zero』。そして、二人組ユニットのNI+CORAが歌う『You Can't Win』に繋がる。KARAKURIの再生は、777☆SISTERSに助けられ、勝利できないところから始まる。もし自分がその時の観客だったら、どう応答すればよいだろうか。あるいは、どう応答したいか?

 

Longing for summer Again And Again

THIS IS THE ONE AND YOURS

  ぼくは、音楽と文学が好きだ。音楽と文学の魅力は3つあると思っている。1つは、特定の時代や場所や人物たちを超え、歌い・読み継がれる普遍性、つまりあらゆる人間に通じる広さがあるということ。もう1つは、その場所で、その時代に、その人が歌っている、あるいは演奏しているという瞬間の輝きを観ることが、物語を読むことが、特別な魅力を放つことがあるということ。そして最後に、ほんの微力ながら、自分も作品を生み出す1人として関わっているという想いを持てること。ナナシスもそうなのだ。作品に触れるたび、ぼくは、自分の人生を感じるとともに、作品の歩みと作り手の想い、そして作品を受け取っている誰かの人生を感じることができる。

 テキストというのは、受け手の応答次第でなにものにも変わる。この文章はたかがぼくなりの応答にすぎないので、もし何かを受け取ってくれた人がいるとすれば、沢山の人びとに向けてナナシスの種を蒔き、未来の花を咲かすことにつないでいってくれたら、何よりよいと考えている。というわけで、何を書こうとしていたのかさっぱり思い出せないが、そろそろこの文章も仕舞いだ。シスターズ (姉妹) だけにね。

2017.04.22-23 幕張メッセ→2017.12.02 東京

 皆さんは今、何を聴いているだろうか?ぼくの最近のお気に入りは、『Snow in "I love you"』だ。ぼくらは青空になるとともに、雪を降らせることもできる。多分次のライブで歌われたら泣く。

 

*1:普通、アイドルリズムゲームのライブで、パンフレットの表紙に一切キャラクターが出ないことがあるのだろうか?

*2:一般の人からの投稿から選ばれた優秀作品の一つらしい

8 beat Story♪ 8/pLanet!! 1st Anniversary 3rd LIVE

 11/12 (日) に開催された、8 beat Story♪ 8/pLanet!! 1st Anniversary 3rd LIVE 「行くぜBLITZ!青春の想いを込めて!」に参加した。ライブ中に思ったことを、忘れないうちに書いていく。

 

 ※ 8 beat Story♪自体の紹介は以下で特に行っていないので、興味ある方は色々検索されたし (公式サイトはこちら)

 

 初めに前提を書く。ぼくがエビストを知ったのはゲーム誕生の時だが、実際にゲームをやり始めたのは今年の7/18からである。音楽もそこから聴き始めた。当然1st LIVEにも2nd LIVEにも参加しておらず、新米も新米である。
 音楽が良いという評判を得ていたものの、とっかかりが掴めなかった中で、音楽紹介のブログをいくつか読んだことでちゃんと聴いてみようという気になった。
 おりしもライブイベントが開催されるということを知り、元々Tokyo 7th シスターズなどのアイドルリズムゲームをプレイし、ライブイベントにも参加していた身としては、およそ音楽がいいコンテンツであればライブにはずれはないだろう、という比較的軽い気持ちでライブに参加しようという気になった。
 2nd LIVEのDVDが発売されているということも知ったが、新鮮な目でライブを観てみたいという思いから、3rd LIVEの当日まで、キャラクターや演者の情報はあまり仕入れず、曲を聴いて過ごし当日を迎えた。

 

 会場はマイナビ赤坂BLITZ。1Fがオールスタンディングで、2Fが指定席だった。収容人数は1,300人弱 (これが計算元) 。ぼくは応募が遅かったので、2Fの指定席のチケットを持っていた。
 ライブ前の予習といえば公式のTwitterアカウントがつぶやいてたことを確認したくらいで、何かお約束があってぼくだけ会場のテンションから取り残されたらどうしようか、と思案していたものの、指定の端っこ席で若干ほっとした。上にも書いたように、比較的軽い気持ちで来ており、まずは見学させてもらおう、と考えていた。今考えればまったく呑気なものであった。
 こういったコンテンツではお決まりの、キャラクターによる会場諸注意事項の読み上げが流れる。否応なく気持ちが昂揚する。ライブ会場が暗くなる。ペンライトの光が良く見えるようになり、オープニングムービーが流れ始める。

 

 ムービーが終わり、メンバーの影がステージの幕に映る。曲が始まる。生音だ。驚く。バンドが入っているのだ。初めて生バンドでのライブなのだろうか。そして幕が重力で落ちる。1曲目は「Minus」..のはずだが、バンドアレンジのテイストが強く、本当に「Minus」なのか定かではない。ヘビーなベースとドラムが会場を圧倒するが、それ以上に歌と振り付けのパフォーマンスに目を奪われる。これは並々ならない。あっという間に曲が終わる。呆然とする。これは熱い。
 2曲目は「Toi et Moi」。聴きたかった曲の1つだ。ヘビーなギターリフが身体を揺らし、アンバランスだが妙に心地よい、愛らしいボーカルが続く。自然と笑みが浮かんでくる。1st、2ndと参加しなかった反省と、2曲目にして早くもこのライブに来てよかったという歓喜がないまぜになる。リズムに飲み込まれていく。
 3曲目、「Give Me Love」。疾走するロックが続く。ある人のパフォーマンスが目にとまる。橘彩芽役の青野菜月さんである。力強いボーカルや繊細な振り付けはもちろん、表情や佇まいまで一分の隙もない。少なくともこの人を見ることができるなら、このコンテンツについていくのは極めて良い選択だと考えられる、それくらい圧巻だ。サビ終わりのコーラスで早くもハイライトを迎える。
 続いて「Go Live!!」。1年生組の曲だ。急に可愛い。前の3曲は圧力があったが、今度は逆に引き込まれる力が生まれる。事前に予想していた会場の様子になる。可愛い..。
 ようやくMCが始まる。動転していた気が徐々に落ち着く。すると、今まで見えなかった点が見えてくる。気になったのは衣装だ。かなり作りこまれている。衣装の細やかさは公演予算のバロメーターだ。加えて生バンドといい、予想をはるかに上回る資金と手間と熱情がつぎこまれている。まったく分からないメンバー自己紹介のコール&レスポンスを聞きながら、改めて来てよかったと思う。
 次の曲が始まる。「Still...」。またロックサウンドだ。自然と頭を振る。青野菜月さんが再登場する。多分、このライブはこの人を中心に観ることになるだろうと悟る。相変わらずパフォーマンスに目を奪われる。
 「Dive to the Future」。前の曲から2人曲パートになったのだと気づく。元気でかわいい曲だ。改めて、曲の雰囲気と、メンバーの組み合わせによって、様々な楽しみがあるライブだと思う。エビスト経験が浅いながらも、やっぱり社本悠さんがいるとエビストらしいなと感じる。
 「秘密の部屋の女の子」。バンドが終わり、澤田美晴さんと吉村那奈美さんが椅子を持って出てくる。寝巻風の衣装が可愛さを引き立てている。2人が椅子に座って歌う。ライブで歌うのが難しいセリフ曲を持ってくるところにこだわりを感じる。脚を動かす振り付けに魅了される。
 吉井彩実さんが1人出てくる。衣装が素敵だ。用意されていたキーボードで弾きはじめる。曲が流れるが、聴いていなかった曲なので、曲名が分からない。でも聴き入る曲だ。サビ終わりに振り付けが始まる。声にならない可愛さ。サージ電流が脳を襲う。百人一首に、「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」という句がある。意味は検索してほしい。この句の意味がよく分かる。
 「ふわりあるたいむ」。前後の曲の振れ幅が大きすぎて振り落とされそうになる。楽しい曲。エビストの曲の水脈はおそろしく多様で豊富だ。途中でそらまめくんという着ぐるみが登場する(大気汚染物質広域監視システムではない)。唐突なギミック。ソロ曲でも飽きがこない。
 MCが始まる。先ほど分からなかった曲が、「三日月どりーむ」であると知る。忘れないだろう、と思う。吉井さんから「鈴音族」という発言が出る。太陽族六本木族、鈴音族。
 MCもそこそこに、「Count It Down」が始まる。好きな曲だ。ワクワクする。出てきたメンバーは一見意外性がある。だが歌っているとあまり気にならない。妙に必死さがある雰囲気。
 「スクールディスコ」。8人全員が登場する。ステージが狭く見える。会場が盛り上がる。先生はディスコじゃありません。そりゃそうだ。1Fを見ると、踊っている人は少ない。ぼくは踊る。
 「BLUE MOON」。「青」野菜「月」さんだ、ととっさに考える。何か関係があるのだろうか。全員曲が続く。ライブ終盤だと我に返る。"これからもよろしくね"と歌われる。もちろんですと、心の中で答える。
 バンドが再登場し、紹介映像が流れる。バンマスがCO-Kさんだと分かる。それは..凄いな。
 続いて、アニメ映像が流れる。教室、校舎の屋上、通学路の映像..。制服姿の社本悠さん、澤田美晴さんと吉村那奈美さんが出てくる。会場がざわつく。「トキメキの15センチ」。特別な空気。憧憬の風景。あまりにも演出が整っている。3人が泣きそうになっているように見える。ステージに釘付けになる。曲の終盤、曲中の台詞の前、演奏がいったん止む。会場が息を飲む。静寂。社本悠さん演じる桜木ひなたが息を吸う。4秒か、はたまた100年の時間が流れる。...............「あのね..!」。15センチのカタルシス。曲後も呆然となる。
 告知映像があった後の1曲目は、「君はレモネード」。1番聴きたかった曲だ。この曲のひたむきな歌詞とテンポはエビストらしいと思う。世界が輝く。一瞬で終わってしまう。このライブでもう一回歌ってくれないかな、と思う。無理か。
 「Rooting for You」。聴く者を勇気づける、応援曲だ。応援曲は素直に受け取れる場合とそうでない場合がある。この曲はぼくにとって前者だった。こういう曲を聴いてしまうと、簡単に死ねないなと思う。
 アンコール後、「BoyFriend」。これも聴きたかった。代表曲のはずだ。ハンドクラップを始める。メロウなキーボードがライブ終盤によく合う。ライブで聴いて、ますます好きになる。
 「ファンタジア」。これも代表曲だからとっておいたのだろう。アレンジが楽しい。全員が歌ってもバランスが崩れないことに今更気づく。一体感がある。このライブを楽しんでいる。
 ベストアルバム『8』に新曲を収録、という告知がされる。その新曲を歌って終わりだという。新曲「Days」。エンディングソングという感じの、優しく落ち着いたメロディ。オレンジのペンライトを持ったメンバーを目で追いかける。終わらないでほしいという想いと、だったらもっとちゃんと追いかけようという想いに包まれる。
 終演後、会場で発売されているベストアルバムを購入する。4th LIVEに行こうと思った。
 
 糸井重里が、『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』という本の中で、著者のヨリス・ライエンダイクというオランダのジャーナリストと対談をしている。彼は、自身が釣りを始めた時、釣りをよく知らない時の自分の気持ちは、あとで忘れてしまうと考え、雑誌の連載に書き留めておいたという。それを後で読み返すと、気持ちよく間違えていて面白かったらしい。ぼくも似たような気持ちでこの文章を書いた。
 長文を書くときは校正するのが普通だが、この場合は勢いが大事だと思ったので、特に他の方の文章を読んだり、リファレンスを深掘りして調べたりせずに書いた。曲順や情報を間違えていたら申し訳ない。そういう心持ちが大事かなと思ったので、とりあえず、あとになってこの文章を読んだ自分なり他人なり、誰かが共感してくれれば面白いと思う。

上田麗奈 / 『RefRain』

はじめに

 『RefRain』が発売されてから半年が経過してしまった。返事を書くには遅すぎるが、書かないよりはましであると考え、以下ぼくが『RefRain』を聴いた体験や、聴いて考えたことを書いていこうと思う。

 

『RefRain』って何だという方へ向けた情報

 ・2016年12月21日に発売された上田麗奈さんの全6曲のミニアルバム

 ・本作が上田麗奈さんのアーティストデビュー作

 ・上田麗奈さんが作詞家の松井洋平さんとともに全曲の作詞を手掛けている

 ・公式サイトはこちら

 

総合的雑記

 『RefRain』は、まぎれもなく傑作である。このアルバムの中に、上田麗奈さんという一人の人間の人生が、確かに存在していると感じられる、優れた作品に仕上がっている。メロディーの美しさ、優れたアレンジ、歌詞の独自性、すべてが高いレベルで重なり合い、その人生の存在へと導いてくれるように感じる。

 なぜこのアルバムの中に上田麗奈さんが生きていると感じることができるのか。それは、以下に引用する、上田麗奈さんの思いがあるからではないかと考えている。この発言は、上田麗奈さんが、自身の作詞への取り組みについて述べているところだが、同時にアルバム全体への取り組みも表していると思う。

「自分の思いや考えを言葉にするって、難しいですよね。恥ずかしい気持ちもあるし、単純にうまく出てこないこともある。でも、自分の言葉をなるべく隠さずに届けたいという気持ちがありました。表現の仕方としても、柔らかくてネガティブ過ぎない言葉で書いていきたい。誰の視点で誰に向けた曲なのかも明確にしたい。」*1

 この発言を支えるかのように、上田麗奈さんのアーティストデビューは、「Letter of "R"」という題名の動画を通じて行われている。どういうことか。

 動画は、YouTubeにて、2016年9月21日から23日にかけて3本に分けて公開された*2。動画の中では、「Letter」という名の通り、手紙の形式で、自身が歌を歌うことについて、上田麗奈さんが率直な想いを語っている。ぼくは、アーティストデビューの告知が手紙という形式をとったことこそ、上の引用発言に込められた思いが、このアルバムの基盤となっている一つの証ではないかと考えている。

 手紙とは不思議なもので、最初から最後まで自分で書けるにもかかわらず、なかなか普段思っていることが書けない。むしろ、普段思っていないことを書いてしまうこともある、そんなメディアである。「自分の思いや考えを言葉にするのは難しい」という発言は、まさに手紙の困難な点を言い表しているともいえるだろう。だが、そんな苦しみを経て生みだされ、完成した詞だからこそ、書き手が人生で感じた全ての思いが「Letter」となって伝わってくるのだ。

 また、手紙には、まず自身が差出人になる必要があり、そして宛名がなければならない。誰かに代わって書いてもらうこともできるが、そうすると代わりに書いてもらった文章には違和感が残る..。「誰の視点で誰に向けた曲なのかも明確にしたい」という引用の発言には、この手紙という手段の困難さを引き受けることについて語っているように思えないだろうか。誰かに制作を任せず、恥ずかしさ、上手く伝えられない苦しさも含めて言葉を書くという点を、自分自身で引き受けるという覚悟があるからこそ、アルバムに上田麗奈さんの個性がよく出ているのだと思う*3

 では、手紙の宛名は誰だろうか。アルバムを聴けば分かるが、曲ごとにテーマがあり、テーマが違えば宛先も違ってくる。だが、アルバムを通じた全体的な宛名は、未来の上田麗奈さん自身なのではないかと思う。なぜなら、「役者としての自分を高めるという意識を持ってなら、歌ってみようかと思えた」*4という上田麗奈さんの発言に見られるように、自分の芝居の為になる、ということがこのアルバム制作のきっかけだったからだ。おそらく上田麗奈さんは、自身のことについて、相当真剣に考えたのだろう。だからこそ、このアルバムに、明確な、力強い思いを包み込むことができたのだと思う。

 繰り返しになるが、このアルバムの完成度は非常に高く、上田麗奈さんという一人の「作家」の人生が表れている。余すところなくその人の存在をさらけ出されると、まるでその人の傍らで自分も生活しているような感覚になってしまう。だからぼくは『RefRain』を聴くとき、上田麗奈さんに親近感を覚え、一緒の時間を過ごしたくなるような、そんな思いになるのである。

 

 

分析的雑記

マニエールに夢を

マニエールに夢を

1. マニエールに夢を

 作詞:松井洋平上田麗奈 作曲・編曲:佐藤純一

 ぼくがこのアルバムの中で最も好きな曲である。

 冒頭の軽快なピアノに続き、「晴れた空なんて、久しぶりに見た」とどこか現実味のなさを感じさせるヴォーカルで歌が始まる。しかし、この現実味のなさが同時に心地よさを生み、聴く者をぐっと引き込む、アルバムの入り口にふさわしい曲になっている。

 サビの「日々は繰り返す いつだって時計の輪の中」の部分、ギターと高音のヴォーカルが奏でるメロディの美しさは、アルバム中屈指だと思う。ここだけでも聴いてほしい。

 曲中では、「晴れた空」「朝」「夜」などといった言葉が多く用いられ、曲を歌っている人物の周囲にある環境のイメージを具体的に想起させる。このやり方は、他の曲中でも頻繁に用いられており、宙に浮いているような幻想的な曲が多いアルバムの中で、妙に具象的な、独特の印象を与えてくる。「マニエールに夢を」では、その効果が特に良く出ていると思う。

 ところで、「マニエールに夢を」とは、不思議な題名ではないだろうか。マニエールはフランス語 (manière) であり、意味は「仕方、やり方、流儀、様式」といったところである。だとすると、あまり意味が通らない。上田麗奈さんは、この曲は「モネの描いた絵」のイメージで歌っている*5ということなので、美術に関する用語なのかな、と思い調べてみたものの、やっぱりよく分からない。この題名について不思議に思っている人は、管見の限りでは見つからなかったので、僕だけが気づいていない点があるのかもしれない。とにかく、アルバム中の他の曲とはちょっと違う、不思議な雰囲気の題名も、ぼくを惹きつける要素の1つだ。

 

 

ワタシ*ドリ

ワタシ*ドリ

2. ワタシ*ドリ

 作詞:松井洋平上田麗奈 作曲・編曲:田中秀和

 曲名通り、鳥が波状に飛んでいるかのような、舞い上がり、そして舞い落ちる音が印象的である。またそれを支える強めのベースが非常に良い。田中秀和さんが作る曲は、ベースアレンジが際立って良く感じられるなといつも思う。

 歌い方も印象的だ。前曲では、歌い手が歌い手自身に話しかけているような内省的な調子だったが、この曲では比較的明るく、見知った人に話しかけるようなヴォーカルになっている。そして、明るさと同時に、明るさを張った裏にある息苦しさも上手く表現されている。

 曲中では「ワタシ」が頻繁に「あなた」に話しかけており、思わず聴いている自分が「あなた」なのかと錯覚する。「ここじゃないどこかに行ってみたいと思わない?」という、ちょっと危ない誘いが続いたかと思えば、曲の最後に、一瞬の無音の後、「一緒にいってみる?」という、それまでの明るさとは一変した、冷たい感触のフレーズがくる。この、行かないわけないよね、という様子の台詞は痺れる。すごく素敵なところに行くようには到底思えないものの、ついていかざるを得ない力がある。そして、連れていかれるところが、海の駅だ。

 

 

海の駅

海の駅

3. 海の駅

 作詞:松井洋平上田麗奈 作曲・編曲:rionos

 本アルバムのリード曲。MVもある。透き通るようなアンビエントである。

 シンプルながら奥行きや広がりをもったサウンドで、まさに周囲に海が広がった最果ての駅というイメージを想起させる。どちらかというと歌の主張の方が強く、また対話的であった前2曲と違って独りの印象が強いこの曲は、オペラでいえばアリアのように感じられる。

 この曲は、アルバムの中でヴォーカルの変化が最も大きい曲なのではないかと感じられる。『RefRain』は、曲ごとの歌い分けがかなりはっきりしており、それが曲の最初から最後まで貫かれているが、「海の駅」では前半と後半でやや違うように聞こえる。それは、この曲が「変化」について、具体的に述べると、歌が苦手であるという思いから、苦手なことでもやってみようという思いへの、上田麗奈さんの変化を表現しているからではないだろうか。MVの最後、上田麗奈さんが振り返って晴れやかな表情を見せる姿は、その変化に対し、前向きになれた (「呼吸を止めるような暗闇さえ彩られて見える」!) ことを表しているのだろう。だからリード曲になっているのかなと思う。*6

 

 

毒の手

毒の手

4. 毒の手

 共作詞:上田麗奈 共作詞・作曲・編曲:TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUND

 感情の揺れ動きが全面に出た激しい曲。冒頭、悲壮なストリングスから始まり、シンセやベースのサウンドも重たくのしかかってくる。ただ、そのサウンドは同時に悲しい美しさも感じられる。

  この曲の題名は、上田麗奈さんがみた夢に由来するという。曰く、「ある日突然自分の手から毒があふれてくる。その手で人に触れるとその人を殺してしまう。それがついには、自分がそばにいるだけで人を死なせてしまうようになる。」という夢だそうだ*7。凄い夢である。

 「海の駅」が光の曲だとすれば、「毒の手」は暗闇の曲である。だが、ただ苦しみという暗闇を歌っているだけではない。「重くあたたかな時間」という今までの日々があるからこそ、その暗闇があるのだ、という苦しみの所以もしっかりと見つめている、暗闇の中から光を見つけにいこうとする曲でもある。手がある限り相手を苦しめる可能性があるものの、手がなければ相手に触れられないのである。自身のみた夢をメタファーとして、こんな素晴らしい曲に落とし込めるというのは、本当に優れた才能だと思う。

 

 

車庫の少女

車庫の少女

5. 車庫の少女

 作詞:松井洋平上田麗奈 作曲・編曲:shilo

 踊るようなリズムのピアノがあっという間に過ぎ去り、もっと聴きたい、と思わせる癖になる曲。時計がコチコチと時を刻むような音も印象的だ。このアルバムで最も短い曲 (3分22秒) でもある*8

 「毒の手」とはまた違った感情の激しさが表れたヴォーカルであり、外の世界を拒絶しつつも憧れる、俗な言い方をすれば中二病少女の妄想全開である。中二病感もあわさって、ぼくは、「鍵は掛けていないのに開けない扉」というフレーズでカフカの『掟の門』を思い出した。

 しかし、「馬車」や「硝子の靴」といった言葉から想像すると、シンデレラ的な、王子様がやってくるのを待っているということなのだろう。なぜこの少女は車庫にいるのか、というのも、馬車が来やすいように車庫にいるのではないかと考えると、「毒の手」とはまた違った趣の苦しさが浮かび上がってくる。「ここじゃないどこかに」という台詞の力強さは、苦しみから生まれているのだと思う。

 個人的には、「愛してくれる人を、愛したいじゃない」という台詞が、このアルバムの中でも最も強烈に響いてくるフレーズとして、気に入っている。

 

あなたの好きなメロディ

あなたの好きなメロディ

6. あなたの好きなメロディ

 作詞:上田麗奈 補作詞:松井洋平 作曲・編曲:佐藤純一

 ストリングスが本当に美しい曲。「夜はもう怖くないみたい」の後の間奏におけるギターも素晴らしい。歌と旋律がゆっくりと溶け合いながら、前の5曲にあった不安さ、悩みに感謝し、全て優しさに変えたような、そんな吹っ切れた曲になっている。

 この曲は、2人の登場人物がいる映像的な歌詞になっているように思う。「こわがらないで ~ 綺麗だね」までの台詞がを担当する者 (Rとしよう) がおり、その後に「あなたとふたり ~ 夜はもう怖くないみたい」までの台詞を担当する者 (R'としよう) が出てくる。仕上げの「繰り返しの日々も ~ 」は、RとR'を含めた美しい全景が、引いた映像となって浮かぶイメージだ。Rは上田麗奈さん自身であり、R'は、世界を怖がっていた車庫の少女である。月灯りという希望の光が2人を照らし、新たな旅立ちを思わせる、最後を飾るにふさわしい曲になっている。

 ところで、月灯りが綺麗ということは、この曲の天気は晴れである。思えば、このアルバムの中では、雨が降っているという描写は一度も出てこなかった。だがアルバム名はRef "Rain" である。どういうことなんだろう..などと考えていたら、曲の最後に、「マニエールに夢を」のメロディが聞こえてくるのだ。そして聴く者は、再び一曲目からアルバムを繰り返すことになる。

 

 

おわりに

 このエントリが、みなさんが『RefRain』を聴くきっかけになり、アルバムを聴いて感じたことを発信するきっかけになれば嬉しいと思う。

 そして.. 

 やったね。

*1:『Voice Actress CRYSTAL』p.94

*2:上田麗奈“Rの手紙”を通じてデビュー報告、1stミニアルバムは12月発売 - 音楽ナタリー

*3:余談だが、誰の視点、誰の言葉なのかはっきりしない音楽は世の中にあふれており、だからこそ上田麗奈さんは音楽が苦手だったのだろうと考えている。

*4:『リスアニ!』vol.27, p.142

*5:上田麗奈 | Lantis web site

*6:「海の駅」のコンセプトについては、上田麗奈さん自身が、これからももっと芝居を続けたいという気持ちを全面に出した (『B.L.T. VOICE GIRLS』vol.28, p.128より要約) と語っている。だからぼくのこの視点は、狭い範囲しか捉えられていないとも思うが、一方でこの「変化」はこの「芝居を続けたい」という思いが端的な形で抽出されたものではないかとも思う。

*7:Radio RefRain Letter of "R" #010 2016年12月10日放送より要約

*8:曲の入手方法によって曲の長さは変わるが、最も長いのは「あなたの好きなメロディ」の5分26秒